嫉妬する分野にこそあなたの才能がある、と考えてみよう。




今日は、嫉妬心についてじっくり考えてみました。



なぜ嫉妬は苦しいのか

嫉妬が苦しいのは、自分が嫉妬なんかしない善人だと思っているところにあるのではないかなと最近思うようになりました。


嫉妬心は悪。
善人は悪い嫉妬心を持たない。
私は善人でありたいので嫉妬心を持たない。

こういう論法のため、嫉妬心を持つと、「善人でいたいのに、いられない」という矛盾が起きて苦しくなってしまうということです。


ですので、
1) 嫉妬心は悪
2) 善人は嫉妬心を持たない
を論破することで、この矛盾を解決していきましょう。



嫉妬ってなんだろう

嫉妬。

自分の持っていない、すごいものを持っている人に対して劣等感を感じ、
「いいなぁずるいなぁこんちくしょう!」と悔しがり、
批判したくなったり、自己嫌悪に陥ったり、相手の不幸を願って五寸釘を打ちたくなる(言い過ぎ?笑)嫌な感情です。


ですが、落ち着いてもう少し考えると、 相手がすごいものを持っていても、別に嫉妬を感じない場合もありますよね。
それがどんな場合なのか、さらに考察してみましょう。





例えば、私の場合、野球がすごくうまい人に対して、嫉妬は全く感じません。

野球に対して、「ボールを投げたり打ったりして、得点を稼ぐゲーム」という超ざっくりした認識しかないくらい、興味がないからです。

ですので、速い球を投げる人にも、変化球が投げられる人にも、ふーん、すごいんだ、と思っておわりです。


一方、私は切り絵がすごくうまい人に対して、めちゃくちゃ嫉妬します笑
「なんでこんなに細かい模様を切れるんだ(ゴゴゴゴゴゴゴ)」
「なんてかわいく美しいんだ(ゴゴゴゴゴゴゴ)」
と日々人に嫉妬してばかりなんですね苦笑





また、人のブログを読んでいる時、
「あぁぁぁこの人の文章をいつまでも読んでいたい!毎日さかのぼって繰り返し読んじゃう!!今日の更新まだかな!!!一生ついていきます!!!!」

というアツい気持ちになる場合と、

「くっ……な、なかなかやるじゃないか(劣等感)、
まぁでもここの部分の言い回しはわかりにくいし、もう少しこうした方がいいと思うけどな(優越感を感じようとしている)
……なんか悔しいからもうこれ以上読むのはやめておこう(ブラウザを閉じる)」

みたいに嫉妬心まるだしな場合があります笑


後者のような嫉妬を感じる場合、その相手が自分と境遇が似ていることが多いです。
例えば、同世代だったり、同性だったり、創作活動をしつつブログを書いていたりするわけです。

そうすると、自分と引き比べて、劣等感や嫉妬心を感じやすくなるんですね。





ということで、嫉妬心がむくむく湧いてくる状況とは、
1) すごいと感じる相手が輝いている分野に、自分は強い興味や関心がある
2) すごいと感じる相手が自分と似ている

状況だと言えるでしょう。



嫉妬心≠悪

ここまで嫉妬について考えてみましたが、そもそも嫉妬は悪いものなのでしょうか。

先ほどの野球の話に戻りますが、私には「速いスピードの球を投げる」の速さはだいたい何キロくらいを指すのか、「変化球」は何がどう変化するのかわかりません。

だから、野球で劣等感を感じられないのです。


一方、野球をする人には、私が「球が飛んだ」としか認識できないものについて、
「時速130キロ、外角低めのストレートで投げられた」
などと認識できる能力があるのです。

だからこそ、140キロの球が投げられないとか、変化がうまくつけられないとか、劣等感を感じます。
自分よりうまい人に対して「嫉妬できる」わけです。

そう考えると、あなたが嫉妬できる分野=あなたの才能がある分野と言えるのではないでしょうか。





また、自分と境遇が似ている人にすごく嫉妬してしまう、という話について考えると、逆に自分のはるか先を行く人には、あこがれを感じても、嫉妬心を感じるのは難しいのです。

例えば小学校の時に、リレーの選手に選ばれた同級生に嫉妬しても、箱根駅伝に出る大学生に嫉妬する、ということはなかったでしょう。

つまり、自分もその人と肩を並べられるところにいる、と感じるからこそ相手に嫉妬できるのです。





まとめると
あなたが嫉妬する分野には才能・見る目がある
嫉妬する相手とあなたは肩を並べられるところにいる
というわけですね。

ということは、嫉妬心ってそんなに悪でもないじゃないですか。
嫉妬するっていうことは、あなたはその分野に強みがあると気付かせてくれるのですから。



善人だって嫉妬する

こう考えると、善人だって嫉妬してもいいと思えますよね。

でも、「いや!善人たる自分は嫉妬せずに相手の才能を祝福すべき!なのにできない、それが辛いんだ!」という強硬派の意見もあるかもしれません。


だったら、「嫉妬心を持っていても、相手を祝福できる」という考え方はどうでしょうか。


人には理性があるので、感情と行動をずらすことができます。

具体的には、めちゃくちゃ殺意が湧くほど人に対して頭にきても、実際にその人を殺しに行くことはしないとか、悲しいけれども相手を思って笑顔で別れを言う、とかという選択をすることができますよね。

同じように、嫉妬心を持っていても、それをむき出しにせず、祝福の言葉を述べることはできるわけです。


その時に、その怒りや悲しみ、嫉妬心という感情に直結する本能的な行動は否定しても、その感情そのものを否定しなくても良いのです。

むしろ、その感情を否定して、「別に何も感じていない」と抑圧することの方が、あとあと爆発したり、恨みが深くなったりと危険なこともあります。


それでもどうしても、どーしても祝福できない、素直になれないのなら、逆に
「あなたがうらやましいです」
「嫉妬しちゃう」
相手に伝えてみてもいいかもしれません。


腹の中で嫉妬心をくすぶらせて恨みを蓄えていくよりも、ずっと健全で、素直で、善人っぽいかなと思うのですが、どうでしょう。



まとめ

ということで、今日は嫉妬について考えてみました。

こうして考えてみると、嫉妬してしまう自分を責める必要はあまりないのかなと思います。

嫉妬心とうまく付き合いながら、これからも創作活動を続けていけたらいいなと思います。